*


「…ロス少尉の話、全部聞いたぞクソ大佐」
「それはよかった」
男は前を向いたまま、微かに頷いた。そして目を伏せると、自分にしか届かない程の小さな声で呟いた。
「怒っていないのか?」
「――怒る?」
聞き返したが、大佐は何も答えなかった。
それ以上のことはここでは話せない、と言うことなのだろう。
「ハボック少尉のことも聞いた」
「……そうか」
ポーカーフェイスをじっと見つめる。沈黙の中に、どれ程の言葉や感情が埋もれているのだろう。想像すると、怖くなる。
「その件だけど、ドクターマルコーなら治せるんじゃ…」
「待て。――乗りたまえ。情報交換といこう」
大佐の目が、自分に向く。底知れない感じのするそれから、目をそらす。よく見知っている筈なのに、知らない人のような眼差しだった。

胸が痛くなったのは、彼に見つめられたことへの安堵か、それとも、彼の深みに気付いたことへの恐怖か。

――その疼痛は、彼への恋心を自覚した時よりも、遥かに強いものだった。


*


夜の街を歩きながら、闇に浮かぶ月を見上げる。
欠けた部分に目を凝らすと、輪郭が薄っすらと見える。
向かう場所は決まっているのに、足が重かった。

あの日までずっと、自分はロイという男の一面だけを見て、全てを知ったような錯覚をしていた。
好きという言葉の応酬や、甘い時間を共有しただけで、ロイにとっての特別な存在になれたと思った。

彼から与えられるもので満足して、その奥底にあるものを、見ようともしなかった。
手を伸ばして、知りたくないことまで知ってしまうことが、怖かったのかもしれない。
大佐にとって、二人の関係は、特別でもなんでもない、よくあることで。
酒や煙草のように、気を紛らわすための、一時のものなのかもしれないと。
どこかで疑っていたから、彼の本心に踏み込むようなことができなかった。

『子供にはまだ早かったな』

自分を甘やかす、優しい声。それが、とても苦く感じた。
彼との間で、確かに繋がっていると思えたものは、幻だった。

あの日から、彼と二人きりになることはなかった。私情を挟む暇もなく、お互いに、何も無かったように振舞ってきた。
このまま、上辺だけを取り繕っているうちに、終わっていくのかもしれない。気まずさも、胸の軋みも、無くなって。
違う誰かを、好きになれるかもしれない。自分も彼も傷つかずに、忘れていけるかもしれない。今ならまだ。

目に焼きついたままの、炭化した焼死体が脳裏をよぎる。あれは、大佐が作り出した偽物だった。けれど、彼はそれを幾つも目にしてきたのだろう。軍の人間さ え騙し通せる物を作れるほど。
だが、自分と彼がどう違うのだろう。ホムンクルスの体内から抜け出すために、オレは賢者の石に手を掛けた。人の命から造られた石を、生き延びるために使っ た。生きてこの世界に戻るために。

暗い夜道に投げかけられている街灯の光を、幾つ通り過ぎただろう。ある建物の前で、足を止める。
ズボンのポケットから、住所の書かれた紙を取り出す時に、ベルトに挟んだ拳銃に手が触れた。
ぎくりとするほど、冷たい鉄の塊。これを貸してくれたひとは、大佐の過去を知っている。

アパートメントの廊下に並ぶ、一つの扉の前に立つ。
表札の名前を確かめ、息を吸うとドアを叩いた。
「中尉!オレ!――エドワードだけど!」
「エドワード君!――どうしたの、こんな時間に」
「急にごめん…借り物返しに来た」
扉が開き、濡れた髪のホークアイ中尉が顔を出す。
入りなさいと促された時、オレは覚悟を決めた。


*


昔、誰かが唄っていた。恋は、お菓子のように甘くは無いと。
どうして苦いと知っているのに、誰かを求めてしまうのかとずっと不思議だった。
それだけが、この胸の痛みを和らげてくれる唯一の薬だと、知らなかったから。

口当たりのいい、糖衣に包まれた薬を、祈るように呷る。
それは苦くてよく利く薬だろうか。それとも自分を殺す毒薬だろうか。
恋の病が消えるかどうかは、呑んでみなければわからないのだ。

これからどれくらい、それを呑めばいいのだろう?
彼を想って痛む心は、いつになったら楽になるだろう?

『大人になったら、美味しいと思えるよ』

子供用の甘い水薬が役に立たない程、拗れた病気。
いつかはそれを、愛せる日が来るのだろうか。

――苦さの奥にある、その甘さを……。



END




2011/02/13
以前無料配布していた本が無くなったので、加筆修正してUPしてみました
資料用にウイスキーを買いましたが、実は未だに飲みきれません…orz

 Novel