昔、誰かが唄っていた。恋は、お菓子のように甘くは無いと。
子供心に思ったものだ。ならばなぜ、それを求めて止まないのかと。



スイート・ビター・チョコレート



暗い路地裏を曲がった瞬間に、吐き気がするような臭いが鼻をついた。もうもうと立ち昇る、湯気のような白煙の向こうに立っていた彼の姿に、オレは目を見 張った。
「―――やあ、鋼の」
その足元に転がった黒ずんだものから、煙は立ち昇っていた。真っ黒に焼け焦げ、蛋白質と脂肪が燃焼した時の独特の臭いを発しているそれ。その人型をしたも のの腕に、銀色の腕輪が光っていた。
マリア・ロス―――腕輪の形をした認識票に書かれた名前を見た瞬間に、頭が真っ白になるのを感じた。大佐の顔を見、息を呑んだ。彼は、取り付く島もないよ うな、冷酷な表情を浮かべていた。
「……どういうことだ……」
ロス少尉がヒューズ中佐を殺したなんて、そんなことあるはずがない。だがどうしてそれを、大佐が知るだろう。大佐にとってロス少尉は、親友を無残に殺した 仇なのだ。
こみ上げてきた怒りが、言葉を失わせた。怒りに震えるオレを、眼前の男は表情一つ変えずに見詰め返している。
見たこともない、こんな大佐は。体中の血液が逆流するような絶望に、我を失い叫んでいた。


*


けだるい眠りから目を覚ますと、ベッドに彼の姿はなかった。痺れたような余韻が残る腰をかばいながら身を起こす。続き部屋から、ほの明るい光が漏れてい た。
リビングの窓辺に置かれた安楽椅子に、彼は座ってグラスを傾けていた。
「何飲んでんの?酒?」
「目が冴えてしまってね、寝酒をね――それより、起きて大丈夫か?」
大佐はグラスをテーブルに置くと、腰に手を伸ばしてきた。抱き寄せられながら、大げさに肩をすくめて見せる。
「心配するくらいなら、はじめっから手加減してくんねぇかな」
「あいにくと、手を抜かない主義で。何か飲むか?」
「水でいい。それよりさ、それ、チョコレート?」
テーブルの上に置かれた化粧箱を指すと、大佐がそうだよと頷いた。
「あんたが甘いものなんて、珍しい」
「ウイスキーと合うんだよ。ヒューズがこの間、土産に持ってきたんだ」
なるほど、確かに高級そうなデザインの箱に入ったチョコは、この辺では見かけない。セントラル勤務の中佐が、気を利かせて差し入れてくれたのだろう。

「スイートチョコ、かぁ……オレもちょっと食べたいな」
アルやウインリィの手前、あまり大っぴらには言えないが、甘いものは嫌いではない。
箱の中に納まっている、金色の包み紙に包まれたチョコレート。普段目にする素朴な菓子とは違うそれは、一体どんな味がするのだろうか。
「……いいよ。ほら」
大佐が含み笑いをしながら、包みを破った。チョコレートの甘い香りが鼻をくすぐる。期待に胸を膨らませながら、薄いチョコレートバーを口に含む。
「げっ、にっが」
顔をしかめたオレを見て、大佐は吹き出した。
「スイートチョコはビターチョコの別名なんだ。残念だが、君の好きなミルクチョコとは違うんだよ」
「あんた、知ってて食わせたな……。こんな苦いの、美味いのかよ」
「酒と一緒だと甘く感じるんだよ。――もの欲しそうな顔をしても、酒は駄目だぞ?」
ウイスキーグラスに注がれた琥珀色の液体を見つめていたオレに、大佐は釘を指した。

「ケチ」
「子供に酒なんて飲ませられるか」
「ふうん?――こういうことはする癖に?」
大佐の首に腕をまわすと、耳元で囁いた。
「ヒューズ中佐に言いつけるぞ」
「それはしゃれにならんぞ鋼の。私があいつに半殺しにされてもいいのか」
「黙っててやるからさ。口封じだと思ってひと口」
「……しょうがないな。これで我慢しなさい」
大佐の顔が近づく。目を瞑ると、柔らかなものが唇を塞ぐ。口を薄く開くと、酒精の香りがした。
合わさった部分から、燻したような独特の芳香が広がる。強い酒の匂いに、めまいのような酔いを覚える。
舌を絡めていると、普段口にするような甘いチョコレートとは違う、苦味の混じった甘さが口の中に広がっていく。

「……やっぱり苦いよ」
唇を離してため息をつくと、大佐はふっと笑みをこぼした。
「子供にはまだ早かったな。大人になったら、美味しいと思えるよ」
早く君と酒を酌み交わしたいなあ、と彼は笑顔を浮かべた。
「ガキ扱いすん…な」
「おや、もう酔ってしまったのかな?体が小さい分、まわるのも早いな」
「誰が豆…だこの野郎」
「舌がもつれてるぞ、エドワード」
名前を呼ぶ低い声が、脳裏を甘く痺れさせる。促されるままに大佐の膝の間に座り込むと、グラスを傾ける大佐の顔をぼんやりと見つめた。

「……チョコってさ、昔はお菓子じゃなかったんだよな」
「そうだよ。昔のチョコレートは、薬だったんだ。今みたく砂糖で甘くしていない、苦いままのものを飲んでいたんだ。滋養強壮とか、媚薬とかにね」
意味ありげな笑みを浮かべた大佐に、思いっきり渋い顔をしてみせる。
「なんだよ、言っとくけど、オレはもう寝るからな」
「つれないことを言うなよ、エド。これでも食べて元気を出せ」
「もうちょっと気の利いた誘い方をしやがれ、バカ大佐」
しかめっ面をすると、先ほどチョコを食べた時の反応を思いだしたのだろう。大佐はおかしくてたまらない、というような顔をした。
大佐の腕に抱き締められながら、酔ったような頭で、何度もそれを反芻した。

――こんな顔で笑うなんて、昔は知りもしなかった。

二人だけの時間を過ごすうちに、一つ一つ、彼のことを知っていく。
こうして、少しずつあんたに近づいていければいい。あんたとの距離が、少しずつ縮まっていけばいい。
オレとのことが、あんたにとって、忘れられないくらい大きなものになれたらいいのに。



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