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カップに注がれたコーヒーから、ゆっくりと湯気が立ち上っていく。私はベッドに腰を下ろし、手持ち無沙汰にそれを眺めていた。
遠くでシャワーの水音がしている。バスルームに続く扉を、ちらと眺める。そこに居るであろう彼の姿を、知らず知らず想像していた。

―――『泊めてくれる?』

エドワードの声が蘇る。どこか覚悟を秘めたようなその言い方が、変に引っかかって意識してしまう。
……思えば、彼の様子もいつもと違っていたのだ。一人で東部にやってきたり、仕事を手伝うなどと言い出したり。エド自身も、そんな自分に困惑しているようだった。
前にも似たようなことはあった。私がはっきり自分の気持ちを告げた後のことだ。私は以前と変わらない態度を貫いていたが、彼の態度は明らかにぎこちないものになった。
この数ヶ月で、やっと、以前のような関係を取り戻しつつあった。エドワードと二人きりになっても、気詰まりな沈黙が落ちるようなこともなく、彼は笑って憎まれ口を叩くようになった。
旅先から送られてくる手紙に簡素な私信が綴られていたり、こちらに来た時には二人きりで外で会うようなこともあった。何度かこの部屋に彼を招いたりもした。少しずつ、彼との距離が縮まっていくようでうれしかった。
だから、今日久しぶりに再会した彼の態度がいつもと違っていたのも、希望を抱かせるのには十分だった。彼も、私を意識しだしているのではないかと。泊まっていったらと言ったのも、もっと彼に近づきたかったからだ。
だが、軽々しく誘ったことを、今更後悔していた。私の誘いを、彼がどう受け止めたのか。一途に見つめてくる瞳を思い出して、たまらない気持ちになる。
見抜かれているのだろうか。彼にプラトニックな愛情を注ぎながら、その一方で、彼に向けることのできない欲望を抱いていることを。
いつの間にか、シャワーの音は止んでいた。上手く、隠さなければ。勘の良いエドワードに悟られないように。すっかり乾いた唇を湿らすように、コーヒーに口をつけた。
ドアが開く。近づいてきた衣擦れの音に振り返ると、シャツとショートパンツだけの薄着のエドワードが立ちすくんでいた。濡れた髪の毛から、ぽたぽたと雫が落ちていく。私は言葉を失った。
少年は髪をタオルで拭うと、私の隣に腰を下ろした。

「タオル、借りたから」
「…ああ」
「それ、コーヒー?一口もらってもいい?」
「苦いぞ。飲めるか?」
「子供じゃあるまいし」
じろりと私をにらみつけると、彼はカップを傾けた。白い喉が上下するのを横目で見、目をそらした。
「眠れなくなっても知らないぞ」
差し出されたカップを受け取ったとき、指先が彼の生身の手に触れた。動揺が現われないように、つい、ぶっきら棒な物言いになる。少年の顔が曇った。
「……あのさ、やっぱり、来て迷惑だった?」
「そんなわけないだろ」
消え入るような言葉を、私はあわてて打ち消した。サイドテーブルにカップを置くと、エドワードの手に自分の掌を重ねた。
「―――変なこと、聞いてもいい?」
「なんだい?」
少年は口を開きかけ、つぐんだ。うつむいてしまった頬が、心なしか赤い。

「本当に、オレのこと、…好き?」
心臓が音を立てた。まさか、彼がそんなことを言うなんて。
「当たり前じゃないか。……まだ、信じられない?」
少年が伺うように顔を上げる。透き通るような金色の瞳に、肌が粟立つような戦慄を覚えた。
「凄く…好きだよ」
薄い肩を抱き寄せる。彼は恥ずかしさに耐えかねたように、目を閉じた。まるで、口付けをねだるように。そう見えてしまったのは、自分の願望のせいだろうか。
赤く染まった頬に掌をそっと触れる。触れた瞬間、びくりと体をこわばらせた。初めて彼にキスした時のことが、ふと頭をよぎる。無理やり唇を奪った時の、呆然とした、傷ついた顔。
あの時は、彼を諦めるつもりだったから、あんな、自分の気持ちを押し付けるようなことができた。でも、今は違うのだ。
手を伸ばせば、触れられる。キスから始まる様々な事柄を、容易く手に入れることができてしまう。歯止めをかけられるのは、互いしかいない。
「怖い?」
彼は、おずおずと眼を開けた。安心させるように、額に口付ける。だが怯えているのは、彼ではなく、私自身のほうだ。
いつか彼が、一時の熱情から醒めた時。私との事を無かったことにしたいと思うようになるかもしれない。そうなった時、私は、彼を上手く手放せるだろうか。今でさえ難しく思えるのに、これ以上の関係を持ったら。
「何もしないよ」
そう言って笑うと、彼を抱き締めた。
ここで、踏みとどまらなければ。私が、彼に消せない傷をつけてしまう。

「……ガキ扱いすんなよ」
エドワードが、私の胸を突き離した。
「オレのこと、からかってんの?それとも、オレがマジになると困るのかよ?」
怒りを叩きつけるような声が不意に止む。彼の顔が泣きそうに歪んだ。それを鈍色のオートメイルが覆い隠す。
その手を離すと、エドはベッドから立ち上がって、かけてあったコートに歩み寄った。

「これ、返す」
服を探り、何かを握り締めた手を私に向ける。その手にあったのは、この部屋の合鍵だった。
「どうして」
「どうして?そんなのあんたが一番分かってるだろ?あんたの噂、知ってんだぜ。来るもの拒まずで、手を出すのが早いって。」
「―――どこで、それを」
「どこだっていいだろ」
吐き捨てるように彼は言った。
エドワードの様子がおかしかったのは、そのせいだったのか。決別していたつもりの過去がまさか、回りまわって彼を傷つけていたなんて。
「ごめん―――君と付き合う前のことだったから、言わないほうが良いかと……。いや、言い訳だな。確かに、そういう時期があったのは事実だ。黙っていて悪かった」
エドワードの手をつかむ。彼は再び涙が浮かんだ目をそらした。
私は、言い訳する言葉も見つけられずに、彼をまた隣に座らせた。少年は鼻をすすると、感情を抑えた声で話し始めた。
「別に、あんたが誰とどんな風に付き合ってたかなんて、今更詮索したりしないよ。そこまで子供じゃない。黙ってたことを怒ってるわけじゃないんだ。ただ―――オレは、違うんじゃないかって……」
淡々とした声が、震えた。
「違うって……?」

「オレのこと、本当に恋愛対象として見てる?」
「―――エ、ド?」
「オレとはキスしたくない?―――やっぱり男相手に、そんな気持ちにはならない?」
「何、言って……」
彼の手が、私のシャツを掴む。エドワードの真剣な眼差しにたじろぐ。なんて答えればいいのだろう。そんなことはない、とでも?
どんなに自制心を働かせても、自分の欲望に負けそうになる。私は、彼を守る立場にあるのに。守るどころか、滅茶苦茶にしたくなる。
……そんなこと、言える訳が無い。見透かすような瞳から目をそらす。それは、彼の眼には逃げのように見えたのだろうか。
シャツを掴んだ手が、私を押す。突き倒されて、ベッドに肩から沈んだ。スプリングがきしむ音を、私は呆然と聞いた。起き上がろうとする胸を、エドワードの手が押さえつける。
「答えてよ」
小さな掌だ。振りほどこうと思えば、簡単にそうできるのに。今までだったら、そうして来た。聞き分けの無い子供のようなことを言うなと。でも、彼は本当に、子供なのだ。

「……大佐が、好きなんだ」

消え入りそうな小さな声が、空気を震わす。予期しない言葉に、私は頭が真っ白になった。
今まで、エドワードははっきりと自分の気持ちを言ったことは無かったし、私もそれを強いて聞きだそうとは思わなかった。いつか、彼の中で答えが出るまでは、このままの関係を続けようと。

「…だからさ、遊びのつもりだったら、そう言ってくんない?あんたとオレじゃ全然釣り合わないって分かってるけどさ。これ以上あんたを好きになったら、後戻りできなくなるよ。そうなったら、あんただって困るだろ」
空疎な明るい声が、耳に残る。ライトを背にしているせいで、彼の表情は分からない。
「―――遊びだって?」
どんな噂を聞いたか知らないが、彼の言葉は心外だった。遊びでこんなことができると、本当に思っているんだろうか。もどかしい気持ちで、私は彼を抱き寄せた。
遊びのつもりなら、もっと簡単にことを進めていた。彼の気持ちなんかお構いなしに、彼を傷つけるようなことを平気でできただろう。
それをしなかったのは、彼に対してだけは、誠実でいたいと思っていたからなのに。どうして、分かってくれないんだろう。こんなに彼を大事に思っているのに。
後戻りできないのは、彼ではなく、私の方だというのに。

「本当にそう思っているのか、君は」
「じゃあ、どうしてキスしてくれないの?―――あれから、一度も……っ!」
エドワードの言葉から、平静さが剥がれ落ちる。
「大佐は、このままで良いの?何も無しでいられる?付き合ったらどうなるかぐらい、オレだって知ってるよ!」
頭に血が上るのを感じた。そんな不安を抱いていたなんて、知る由も無かった。
「…私が、君に触れたくないとでも?」
「違うの!?だって、今まで付き合ってきた人とはしてきたんでしょ―――だったらどうして、オレだけ……」
彼は、自分の本当に欲しいものが分からないのだ。体を重ねれば、確かなつながりが生まれると思っている。でもそれは、逆なのだ。確かなつながりがなければ、体を重ねても虚しくなるだけだ。
だが、14の子供に、そんなことが分かるわけがない。味わったことがなければ、その虚しさは分からない。でも、それを味あ わせたくないのだ。私が繰り返してきた苦い経験を、彼には。
「本当に、君を大事に思っているんだ……エドワード」
けれど、どうしてだろう。彼の葛藤が痛いほど分かっていながら、どうしようもなく欲望を感じる。自分がどれ程彼を好きなのか、わからせてやりたくなる。彼が、無知をさらけ出すたびに。

「君を傷つけたくないんだよ」
「どうして、傷ついたりするの?オレが、あんたとしたいって言ってるのに?」

エドワードの顔が、息も触れるほど近づいた。整った顔立ちが、切なげに歪む。

「他の人にしてきたみたいに、オレにも、して…」

エドワードの唇が、柔らかく私のそれに重なった。
押し付けられるだけの拙い口付け。
だが、くすぶり続けていた埋み火を燃え上がらせるには、十分だった。

09/09/18

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